『マッサン』だめだし 大正時代の進学率

大正時代の女学校進学率は10%。

1905年には5%にも満たなかった高等女学校進学率は、女子の尋常小学校就学率がほぼ100%になる1910年辺りから徐々に高まり、1920年には9%、1925年には15%近くにまで上昇し、ほぼマス段階に入った。

高等女学校 - Wikipedia

現代とは違って、大正時代は優秀な成績の女の子でも普通の家庭の子の場合は、女学校へ進学しない方が普通で、悲壮感の漂うことではなかったと思われます。

実際には「頭のいい子だから進学させてあげたかったなあ。」って思ったとしても、ドラマ『マッサン』の中みたいに、大勢の人がいる前で母親が切々と「進学させたかった。」なんて、訴えなかったと思う。むしろ、母親の方が古い時代の人(たぶん明治生まれの村人だし。)だから、自分の子供時代と同じように考えてなんとも思っていなくて、娘の方が複雑な思いを抱えていたのではないのだろうか…。

 

ただ、大正時代の普通の女の子の仕事は女中の仕事が多かったけれど(格式の高い家庭で働く場合には、行儀見習い的な意味合いもあったみたい。)、普通の家庭の優秀な女の子の場合は官公庁や企業の競争率の高い採用試験(採用数%だったらしい。)に合格して、事務系の仕事をされていたことが多かったみたいです。ちなみに当時は器量のいい人は、バスガイドになっていたらしい。

 

大正時代に女学校へ進学したのは、経済的に余裕がある家庭の女の子で、勉強が好きな子で、合格できる学力のある子に限られたみたいです。(今でいうと私立の進学校のようなイメージだったみたい。)

それで、卒業後しばらくしてから結婚という形が多かったそうですが、結婚前に数年働く場合もあったらしいです。

女学校を出ていると大正時代で英語の基礎があるから、企業で事務の仕事をした場合に周囲から一目置かれていたみたい。(きっと、大正時代は現代よりも英語が話せることの希少価値があったんだろうなあ。)

学校の先生になった女の子の場合は、教員として数年働いてから結婚という形だったみたい。(昭和中期ぐらいまでの学校の先生は、富裕層の坊ちゃん、嬢ちゃんが多かったみたい。)でも、当時は女の子の結婚年齢は20歳ぐらいだったらしいけれど、教師になると晩婚になる傾向があったみたい。

大正時代は裕福な家庭の子供でも、勉強が嫌いな子だったり、学校の成績が優れていなかった子の場合は進学しなかったらしいけれど、当時はそれほど特殊なことではなかったみたい。(今の大学みたいな感じなのかも。)