朝ドラにつっこみ

『あさが来た』につっこみ お嫁さんの居室が床の間の件

 

朝ドラの『あさが来た』にて。

もうつっこむのよそうかなって思っていたんだけど、気になったので…。

江戸時代の大阪の豪商の家庭のことは詳しくないけれど、個人的な認識とは異なるので…。

 

アサのお姉ちゃんのハツさんの嫁ぎ先の居室が、床の間になっていました。

昔の日本の家では、床の間はその家の主人夫婦の部屋兼、ハレの日の客間になっていて、普段の日は他の家族は許可がないと立ち入れないような空気があったように思います。

ハツさんの嫁ぎ先では、その家の年長者である舅と姑(義理の両親)が存命なので、床の間はおじいちゃんとおばあちゃん(義理の両親)の居室になるものだと思います。

 

息子夫婦の居室には、床の間は無いんじゃないかなあ…。

 

とりあえず、昭和初期ぐらいのイメージで、家族の居室の画像をつくってみました。

本当は、鏡台に布がかかっているという設定です。

 

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とと姉ちゃん』につっこみ 当時の人々への愛情が無い

朝ドラの『とと姉ちゃん』では戦後まもなくの狭い家の描写だったり、髪の毛ぼさぼさの女の人がたくさん出てきたり、日本人に悪意がある描写が多いように思います。

戦中や戦後まもなくの一時期は狭い空間に大勢の家族で住む時期もあったのかもしれないけれど、祖父母や親戚の若いころの写真見ても、スナップショットでもあんなぼさぼさの女の人はいないし、みんな割と明るい顔をしている。

昭和初期の日本の成人女性は、後れ毛を出さないお団子頭やまとめ髪にしていました。当時の女性は、前髪をつくったり、段の入ったカットはしてなくて、髪を結わなければワンレンロングだったから、髪を結った時に段の入った部分の髪が落ちない、全ての髪を結べる長さだったと思います。また、当時はどこの家庭でも椿油が常備されていたみたいで、大正生まれの女性は椿油を整髪料としても使っていたみたいです。

それに、居候の赤ちゃんの粗相に対して女の人が長々と文句を言ったりしないんじゃないかなあ。赤ちゃんに対しては、特に子育てしたことがある女の人だったら笑顔になる人の方が多いと思うんだけど。

あのドラマの主要人物も、多分モデルの人物とはキャラが違っていると思う。脚本家の脚色やNHKの朝ドラのヘアメイクと美術スタッフによるものなんだろうけど…。

架空の人物でも言えることだけれど、モデルがある物語の世界だったらなおさら、愛情のある対象だったら配慮もあって、製作者は、実際よりも汚くするんじゃなくて、実際よりも少しはきれいに見せてあげたり、ほのぼのとした感じにするものだけれどね…。

 

江戸時代は町人文化が花開いた時代でもあります。文学、絵画、演劇等。

西洋文化が入ってきた明治大正時代から第二次世界大戦前までは、大都市にはモダンな若者達がいたそうです。朝ドラで言うと『あぐり』のヒロインの若いころや、『カーネーション』で洋裁をヒロインに教えてくれた先生。『とと姉ちゃん』のヒロインもそうだけど…。

現在でも石造りの洋風建築だと明治大正時代の和洋折衷のかっこいい建物が残っているものもあるけれど…。

 

雑誌も、大正時代から少女向け、女性向けの雑誌が発売されていたそうです。

ちなみに、女性思想家の平塚らいてうが雑誌を創刊したのは明治時代です。

父方の祖母が子どものころに、たぶん少女向けの雑誌の俳句に応募して、入賞して賞金をもらったという話も聞いたことがあります。

戦時中も婦人向けの生活雑誌はあって、戦時中は食材をいかに無駄に使わずに利用するかといったことが載っていたらしいです。

日本は江戸時代から同時代の世界的に見ても飛びぬけて識字率が高かったんけれど、明治からは男女とも義務教育で尋常小学校で学ぶようになったので、女性の識字率も高くて、戦後の混乱期でも活字や雑誌を読む女性がたくさんいたから、女性向けの雑誌の売上が良好で、出版業界が活発になったんだろうなあ。

 

日本は、第二次世界大戦前の方が豊かで、戦争中は文化活動が停止していて、第二次世界大戦中と戦後まもなくがここ数百年で一番貧しくて、おしゃれじゃなかったみたい。

年配の女性が、自分の母親が戦前は着物を着ていたのに、モンペの楽さを知っちゃったから、なんて言っていたこともあったなあ…。

裕福な家庭でも、戦後しばらくは建替えの時に法律で広い家を建てられなかったみたいだし…。

でも、田舎の方だと、戦争で焼けなかった戦前からの建物が残っています。

例えば、江戸時代の豪農の広い藁葺屋根の家だったり、江戸時代の偉人の生家の田舎家屋だったり。地元に文化遺産で残っている家もあるし、旅行に行った時に見たこともあります。

実は、うちでもつい数年前まで、江戸時代から使っていたという物置がありました。

田舎の方だと、昭和30年代や40年代ぐらいまでは藁葺屋根の家もわりと見られたみたいだし、戦争で焼けなかった家もけっこうあったんじゃないかなあ。

あと、昔の人ってお花や植木を育てていた人も多かったようにも思うから、建物は木と瓦屋根と石と障子の色で構成されていても、アサガオとか菊とか育てていて、お花の色はあったんじゃないかなあ。または、お花は育てていなくても野菜は育てていて、例えば菜の花やカボチャの黄色い花や、ナスの紫の花等で風景に彩りを添えていたのではないかなあ。