教育や仕事について思うことをだらだらと書いてみた

東大の学生のほとんどは富裕層

下の図は、教育学博士で現在武蔵野大学杏林大学兼任講師の舞田敏彦氏が「東京大学学生生活実態調査」(2012年)と厚生労働省の「国民生活基礎調査」(2012年)に基づいて作成したものです。

東大生の家庭は57%が年収950万円以上となっており、東大生以外の一般家庭が22.6%であるのに比較して、金銭的に余裕があり、富裕層ともいえる家庭が半分以上を占めている事実がわかります。

東大生57%の家庭、年収950万円以上の富裕層

 

以前、話題になったニュース。

年収950万円以上なら富裕層としてデータに盛り込まれるんだなあ。(もちろん、余裕のあるご家庭だとは思うけれど、)意外と一般家庭に近いんだなと思いました。どこかの私立大学の医学生が高級外車で大学に通うとか、高級ブランドのファッションで通うっていう話も読んだこともあるので(国産品を購入して国内の経済を回してくれたらいいのに…)、東大生の家庭は年収数千万以上のイメージを持っていました。

 

たしかNHKで放送されたことがある、中国の映画で、男の子が「お金持ちの家の子ってなんでもできるんだね。」って言って、たしかその後病気で亡くなってしまったけれど、その後その男の子が描いた絵が大きなコンクールで金賞を受賞したというストーリーを見たことがあります。

 

でも、それって、実はそのお金持ちの家の子だけの力じゃなくて、背後についている大人の先生の教育の力もあったんだよね。もちろん、同じ人(同じ塾で同じ先生)に同じように習っていても、成績優秀な子と、普通な子と、覚えるのに時間がかかる子と分かれてくるもので、塾へ通ったことで効果が上がる子は優秀な子なんだけれど…。実は、その子だけじゃなくて、その先生に教わった人、その教材で勉強した人は、優秀な人ほどみんな同じような実力や知識を持つことになる…。

だから、子供のころの天才児が、大人になると専門性が高くなるので教育の力が無くなるため、天才レベルではなくなって普通レベルの優秀な人になることも多いんだと思う…。

 

(以前、なにかの番組の企画で、何人かの演歌歌手が各地方の民謡を習うっていうことをやっていたんだけれど。有名演歌歌手が、師匠の歌になりますね、と語っていました。なんでもそういうことってあるんだと思う…。)

 

なんで適わないんだろうって私も思ったことがあって。中学生のころ、クラスに理科、社会、数学についてはたいていのテストで満点の子がいたの。でも、なぜかそんなに頭のいい子なのに、体育のペーパーテストの答案用紙には結構×がついていたのが(4分の1ぐらい×がついていたのが)、ちらっと見えちゃったんだよね。それで、なんだ私とあんまり変わらないって思ったこともある。体育のペーパーテストの場合は、進学には関係が無いものだから、塾等で習えないからなんだろうなあ…。

 

それから、私は、一度だけだけど、学年の300人弱の中で1人だけ数学で満点を取ったこともある。これも不思議なんだけど、その時の数学のテストでは、いつも満点取っている子も取れなかった。同じ学年の中には、その後、旧帝大に現役合格するような子も何人もいたのに…。たぶん、その時の数学のテストでは、塾の先生や家庭教師が出題されると予想されていなかった難問が1題、出ていたから、他の子はできなかったんだと思う…。私も、その数学のテストの他の問題は何も考えずに解けたのに、その応用問題に関しては、そのテストの時に初めて解いた問題で、嫌な汗をかきながら何回もやりなおして、テスト終了間際に解けた問題だった。

私はあの時、休みの日は6時間ぐらい、数学の問題ばかり解いていたの。その時にできたペンダコの名残はいまだに手に残っている。その時期に使っていた数学のノートを見て、数学の先生が、女子で参考書のようなノートをつくっている子がいるって言ってくれたなあ。あの時は完全に頭の中に入っていた。

でも、あんなにしんどい思いをしてまでやるのはもう嫌だって思って。よく考えたら、中学生の数学の勉強で、あそこまで時間をかけるのも効率的でないし…。それからやらなくなったら、また成績が若干下がっていったけれど…。

 

それに、私、身近に年上の優秀な人が何人かいたから。 同世代の人に比べたら優秀だったとしても、数年前に同じ道を通った秀才には適わないっていうことがわかっていたから。たくさんの人と同じことを習って、人と同じことをするのはつまらないなって、子供のころ、思う方だったのね。

それから、子供のころは、そんなにやって、なにになるんだろとも思っていた。短い時間で計算ドリルとか、早くしあげても、学習時間が決められていると、さらに増量されるだけだったし。(できたらできたで、ほめてくれる人もいるけれど、嫉妬してくる人もいたし。できなきゃできないで、バカにしてくる人もいたし。まじめにやったらまじめにやったで、先生や親は喜んでくれたけれど、同級生の友達からなんでやったのって普通に疑問に思われたこともあったし。プライドが絡むことって、いろいろめんどくさい…。)

結局は、なにかを習得するには、学校へ行って習った方が近道なんだけどね(ただ、生活が学校だけになってしまうと、個性はなくなると思う。)。個人的になにかをすることと、学校や習い事として人から習うことと、両方あるといいんだろうな…。

  

子供のころそんなに数学は得意な方だったのに。暗算が苦手なんだよね、私。紙と鉛筆がないと計算ができないの。手で計算しているから。そろばん習っていた人の方が計算速いもの。その後、アルバイトとかで会計の仕事していた時、そろばん習っていたらよかったなあって思ったことがある。今の時代は、そろばんは学校で教えてくれないしね。高校で習うような微分積分とかよりも、そろばん習っていた方が、商業系の仕事をする子の場合は役に立つと思う…。

 

国語に関しては、小学生のころ、本(児童向け世界名作物)をたくさん読んでいた時期は読解問題で間違えたことがなかったんだけれど、中学時代、小説を読まなかった時期は、国語の問題で間違えるようになっていたなあ…。(私は、子供のころ、本をたくさん読んでいたから。だから、本の著者のことはよくわかるんだけれど、身近な人達のことはよくわからなかったなあ。身近な人とあまり話をしていなかったから。人と話すよりも、本を読む時間の方が長かったからな…。その時流行したものについていけてなかったから。周囲がお笑いのネタで大爆笑していてもなんで笑っているのかわからなかった…。)

 

あと、母は学生時代に塾とか行っていなかったのに、成績がよかったらしいんだけど。数学の場合は、母は子供のころ、お裁縫が趣味だったから、それで図形関係の問題が得意だったらしい。それから、授業で先生が力を入れて言ったところはテストにでやすいらしい。テストの問題は解き終わった後、3回見直していた、とも言っていました。

 

以前、テレビのドキュメンタリーで見たこと。インドの天才少年。10歳ぐらいでなにかの手術を成功させた。その少年に対して、会ってみたいと言うある学者。少年は、その学者のしている研究に対して、もっと効率的な方法もあるはずなのに、と語る。それに対して、学者が少年に対して科学技術の進歩には多大な研究の積み重ねが必要だと説明する。そして、その少年に会ってみたら、まだまだ子供だったという結論に。少年は、同世代の子とたくさん遊ぶ経験が必要でしょうと言われていて、少年も最後には、納得していました。

 

ドラマ「JIN」は、現代の医者が江戸時代にタイムスリップする話でした。その中で、主人公の医師が、自分がこれまで得た医学の知識は、大勢の医師による膨大な過去の研究の積み重ねだったんだって認識するところがありました。あの場面は、好きなシーンです…。

 

私も、ある事務系のバイトをしていたころ、進学校出身の女の子が、自分が急にバカになった気がするってぼやいていたのを聞いたことがあります…。でも、学生時代に学校の成績がよかった人とか、進学校出身者って、なにごとに対してもすぐにあきらめないタイプ、根気があってまじめな、コツコツタイプが多いように思います。逆に中間ぐらいの成績の子って、好きなこととか、よく知っていることに対しては根気があるけれど、自分に向いていないと思ったことに対しては見切るのが早いように思います…。

 

教育にお金をかけられる人の方が有利っていうのはあるんだと思う。やっぱり、塾とか習い事って、予習復習をきちんとすれば効果があるんだよね。 

それから、一番上の方が成績が優秀になりやすいのは、一番上の子が子供の間のルールになっていることが多いからだと思う。小さいころ、子供部屋から部屋を追い出されて、姉の専用の部屋になっていたもの。姉がラジオを聞くのはいいのに、私がラジオを聞くと怒られるという。横暴な姉。私は弟がラジオを聞いていても怒ったことは無い。

私の場合は、朝早く目が覚めちゃった時によく、台所のテーブルで勉強していました(春夏限定だから、寒くなると学校の成績が下がるという。)。当時はネットもケーブルテレビもなかったから時間をつぶす方法が勉強になっていたの。子供のころ、夜8時ぐらいに寝ると、朝の4時~5時ぐらいに目が覚めてしまうことがおおかったから。

 

たまに塾に通わなくても、学校の授業で聞いたことを授業中に覚えたり(まれにそういう人もいるらしい…(汗))、学校の授業のメモの取り方がうまかったり、家庭学習教材を活用したりして、成績優秀な子っていうのもいるけれど…。

(ちなみにうちの姉。小中学生のころは学研の家庭学習教材をやっていて、それで中学生のころに学年1位になったこともあったらしいです。高校生のころはZ会をやっていました。ただ、高校生の中ごろから家庭学習だけだと成績が少し下がってしまったらしくて、それから塾に通っていたみたい。姉は家では毎日3時間勉強していました。それで、某旧帝国大学に現役合格していました。それで、卒業する時に、卒業生代表であいさつもしていたらしい。ということは某大学でも学年トップだったんだろう(汗)家庭学習だけで成績がよかった子って、進学したり、就職してからも優秀なんだよね…。でも、そんなに優秀な人でも、女の人だと、小さい子供が何人もいると家庭優先の働き方になっているらしい…。家庭にとってはその方がいいんだけれど…。一般的に女性の方が就職が不利なのって、子供ができた後のことを就職先の人がわかっているからなんだろうなあ…。)

 

でも、塾を活用して、学校の成績がよかった子というのは、さらに進学したり、社会に出た後で、前ほど優秀ではなくなる場合もあるみたい。塾の先生ってわかりやすく教えてくれるし、さらに学校で同じことを聞くことによって自然に予習復習にもなるから…。

仕事先だったり、専門的なことで効率よくできるようになるには、先輩からポイントを教えてもらうことが一番の近道になるんだけれど。やっぱり、その職場で長く働いている、優秀な人だったり、人脈を持っている人には適わないな…って思ったことがあるし…。それで、雑談が大事になってくる。気に入られないと、難しいし。どうしても、性格がかわいいタイプのよく話をする仲のいい子には細かく話していたことが、そうでもない子には聞かれたことだけに対してだけで、短い感じになりやすいし…。それだけならまだしも、ふだんから雑談をしていないと、重要なことでも聞いてないよーってことも出てきて、仕事に支障が出てくることもあるし…。

それに、ずっと有料で教わっていた人って、好意から教えてくれる人に対しても、教えてもらって当たり前みたいになりやすいんだよね…。自分に自信があるから「ああ、そうやるの。」ってなぜか上からで、感謝もしなくなったり。ひどくなるとお互いに話もしたくないみたいな関係になる場合もあるし。それに、先輩がわかりやすく教えてもらうことによって、後輩が超えてしまう場合もあるし。優秀な人ほどすぐに吸収して自分のものにしてしまうし。(だから、逆に教えてくれた人よりもできるようになってしまったら悪いなって思ったこともあるし。)だから、一般的なことはいいけど、苦労したことに関しては、バーター取引的でないと嫌だなという心情が出るという。 


 それから、どの職場にも、その職場で何年も働いている先輩がいるから。

年齢が同じぐらいだったとしても、年下だったとしても、職場においては先輩だったり、上司の場合は、先輩や上司の立場の人になるから…。(会話はお互いに敬語になると思う。)

 

仕事において本気モードの時ほど、そんなことを考えたことがある。

まじめに働いていたとしても気楽な気持ちで、ただお小遣い稼ぎのためって思って働く方が、職場の人間関係は、そんなにぴりぴりしなくて、和やかになりやすいのかも…。

 

その先輩だって、その職場で何年も下積みがあって、それでリーダーシップを取る立場になっていたりするから。(その先輩よりもさらに年長の方から、不況だったから何年も後輩が入ってこなくてずっと一番下でかわいそうだったんだよ、なんて話も聞いたことがある。)

 

後輩ができなかったり、先輩がずっとそのポジションにいると、何年働いていても、ずっと(ひょっとしたら退職するまで)補佐的な仕事しかできなかったりもするし。意向に沿うような形になるし。

 

それが、大きな組織、大きな企業で働くっていうことで、仕事をするっていうことなんだろうな…。

どんなに優秀な人だったとしても、新人が先輩を差し置いて、できないこともあるもの…。大きな枠組みにおいては。

アドバイスだったり、意見を言ったりすることはできても、最終的な決定権は、その組織のリーダーになるっていう。