日本人は流行りに流されやすい? - 流行・カルチャー - 教えて!goo


日本人は流行りに流されやすい? - 流行・カルチャー - 教えて!goo

 

音楽でも旅行でも読書でも、そのものを楽しむというより、その時点での話題のことがコミュニケーションツールとして使われている面も多いんだろうな。コミュ力の高い人達を見ていると、そう思う。

だって、そのコミュニティの間で話題にのぼるものしか認識されていないみたいなんだもの。きっとそのコミュニティの中で、だれかが詳しかったり、好きな人がいて、その意識が広まるっていう感じなんだろうな。それで、その場のコミュニケーションが円滑にいけばOK、それが一番大事なことになっていて、基本になっている。そういうコミュニケーションの取り方なんだって、だんだんわかってきた。

 

 私は今は、流行に乗って周囲や世間の話題についていける部分と、マイブームだったり、自分の好きなものを追求する部分(人に話さなくても)と、両方あった方がいいなって思っているけれど…。

  

たくさん本を読んだりして、造詣を深めようとしてみたこともあったけれど。結果。周りの人たちが読んでいる現代の大ベストセラーや今でもたくさんの人に読まれている古典はそんなに読んでいないのに、周りの人たちで読んでいる人がだれもいない本を数百冊読んでいることになった。でも、比較的マイナーなものでも、いいなと思った場合にネットに書いたり、人に話したりしたら、それで広がったことはあるみたいです…。

 

 

2014/11/5のあさイチでは、本の特集で。(あさイチの井ノ原さんって優し過ぎて、見ていると意味もなく泣けてくる時がある。なにか特別なことを言っているわけでもないんだけれど、雰囲気が。この日もすごく優しい人だなあ、ってなんかわからないけど、見ていたら暖かい気持ちになっていた。イノッチさんとか、あさイチだと「さん」づけで呼びたくなるような雰囲気がある。)そのなかでヤマシゲさんが、どんな本を選んでいるのかについて、「平積みされている本を選んだりしている。映画化決定した本を読んだりしている。」と語っていた。そんな本の選び方をしていると、今話題の本が選べるのかもしれない。

私は、店頭で特集が組まれている本達だったり(たぶん書店員さんが力をいれている。)、今週の売上トップ10だったり、表紙を出して陳列されている本(たぶん名作で、書店員さんのおすすめ。)だったり、平積みされてある本はあまり選ばなかったからなあ…。奥の方の本棚に1冊ずつ置かれている本の背表紙を見て、選ぶような選び方だからなのかな。でも、店頭でおすすめされているものを選んで、それがいい出会いになったこともあったな。

 

  「コミュ力が高い姉は何が自分と違うのかと思ったら、偽アイドルファンでした。姉は高校を卒業したらアイドルファンを辞めていました。」っていう記事も読んだことがある。(まあ、男性アイドル歌手の場合は大人になってからも女性同士の話題でのぼることはあるけれど…。)

私も、「野球が好きになったのはこの職場に来てから。」っていう話も聞いたことがあるし。周りに好きな人が多いと、話題づくりのためにそうなるのかも。

 

 とある名作があったんだけれど。ネット上にしか語り合える人がいない。自分の周囲に知っている人がだれもいなくて、しゃべれる人がいなくて寂しい。っていう声も読んだことがある。それで、その作品はやめて、周りに好きな人が多いものをやるようになったっていう。名作でも、もうお店に置いてなかったりするしね…。

 

それから、テレビや雑誌等の大手メディアの影響が強い感じもするし。大手メディアのニュースやワイドショーでガンガン流さなくなったら流行が終わる感じもするし。 

マイナーな側に属する製作者側は、世間が流行に流される風潮を苦い思いで見ている人も多いんだろうなって、ネット上の製作者側の個人的なブログを読んで思ったこともある。

定年退職したりして、周囲との関わりの少ないタイプの人は、自分の好きなものに没頭している人も多いって書いてあったのを見たことがあるから。

(逆に、流行をつくり出す側の、大手マスコミの側の人達は流行に流されないタイプの人たちのことを苦々しく思っているみたい。)

 

冴えない人達のやること、っていうふうに思われると、はやらなくなるのかな…。

逆に、冴えない子達がやることだと思っていたのに、自分の親しい人達もそれが好きだってわかったら、急に評価されたり。自分の方が仲良くなりたい人達と、それを話題にして親しく話しているのを見て、急に取り入れたりって、そういうこともあったんだろうな…。

こんなことを言ってしまったら傷つくだろうけれど、私、父親がやっていることって小さい頃からどうも興味がもてなかったっていうこともあったし。だから車に興味もてなかったっていうこともあるし…。まあ、本人が楽しそうならそれでいいかなっていう感じで。車が好きな人でも、友人知人としていろいろなタイプの人と接したら、また印象が変わってきたこともあったし。やっぱり、普段の父親の言動がね…。優しいときと、理不尽な時とあるから。理不尽な時って本当に意味がわからないから。最近はだいぶ丸くなってきたけれど。もっと優しいお父さんだったら、また印象も違っていたのかもしれない。

世代別のことでもあるけれど。ふつうは、若い子は、お年寄りといっしょのことはやりたがらないものだし。お年寄りも、自分たちに対して向けられたもの、って思うからこそ、好きになることもあるんだろうし。

 

 お店の人に笑われちゃったり、ちょっと怪訝な顔をされたから、辞めたっていうこともあったなあ。たいていアルバイトの店員さんだよね。店長クラスだと売上につながるから、お客さんにたいしてああいう対応はしない。(でも、お金持ち向けのお店《数百万の絵を売っていた某ギャラリー。画家の名前から見たら、適正価格は数十万と思った。》では、女性店員さんは感じよかったのに、女性の責任者っぽい人が感じ悪かったことがあったなあ。購入しそうにないとか、思われたみたい。高い商品を買いそうと思われたら急に対応が変わったこともあったし。ちょっと絵を見に行っただけだったのに。画廊でも、数万円クラスの絵を置いてあるところの男性店員さんは感じがよかったのに。)ネットで見たら、その趣味を大人になっても続けている人達がいたので、続けたらよかったなあって思ったこともあったし。だけど、あのタイミングでやめてよかったのかな。今の時代はネットがあるから、こんなふうに思うようになったけれど…。あと、意外と身近な人が隠れファンだったりすることもあるし。迷うところ。

 

流行している時期はいいけれど、流行が終わったらもう自分からは話題に出さないとか。

10代のころはアニメをよく見ていたけれど、社会人になったら卒業したとか。

 

その話をしたいタイプの人とはその話をしたいけれど、そうでない人とは話したくないとかもあるんだろうな。(例えば、同じ趣味の人とは話したいけれど、そのノリがわからない人とは話したくないとか。)

そのタイミングで乗っていないと、モグリだとか、思われるっていう。

 

それから、もう何年も前の話になるんだけれど、なんでそんなにスタイルがいいのって聞かれたことがあった。当時は、家でよく運動していたんだよね。エクササイズにも流行があるんだけれど、以前流行したエクササイズを流行が終わってからも何年も続けていたの。流行った時に話題づくりのために何度かやってみる人の場合は、続けていないからなんだと思う。(ちなみに今はあまり運動していない。)

逆に、数十年前に覚えたことだったり、数十年前に発行された本に書かれていたことをずっと続けていたら、現代の常識と変わっていたなんてこともあるし。別に、それでもいいんだけれど、だれかと一緒にやる時は、今現在の一般的なことや、今流行っていることの方に、周りに合わせてもいいかなっていうような。 それで、現代に一般的に知られていることを認識するために、高視聴率の情報番組を見たり、発行部数の多い雑誌を読んでおくことも必要かなって思った。