1人で嗜むものとして好きなもの / オンラインゲーム終了時

コミュニケーションツールとして好きな時と、セミプロ的に1人で嗜むものとして好きな時とある。

 

私は、家で音楽を聴いたり、本を読んだりするのは、一人で嗜むものとして好きなんだけれど。

 

1人で聞いたり、読んだりしているんだけれど、会ったこともないんだけど(外国人や故人のこともあるし、チケットが取れなかったこともあるし…。)、演奏家や著者や、その世界観が好きな人達とはどこかで繋がっているような感覚がする時もある。

 

周囲の人がだれも聞いていないようなものを聞くこともあるし、だれも読んでいないようなものを読むこともある。

 

家で1人でカセットテープやCDの音楽をヘッドホンで聴いていて、ふと、すごく幸せだなあって思ったことがある。

 

また、ひどく疲れていた時期に、家に帰ってきてから毎日1時間ぐらい某RPG系のテレビゲームをやっていた。疲れている時期ほど、現実離れした美しい世界に触れて、元気をもらうことが必要だったみたい。毎回、オープニングの曲を10分ぐらいリピートして聴いてぼーっとしていた。その時に、とてつもなく優しい音色だなと思ったことがある。虚構の中にある本物。

 

それから、心地いいから演奏しているって語っていたピアニストの人もいたなあ。

(いろいろとやっかまれたこともあったみたい…。)

 

家で1人で音楽聴いていることを馬鹿にするような言動をするミュージシャンの人がいたけれど、CDを出している人なのに、家で1人で音楽を聴いている時に幸せだなあって思ったことも、癒された経験も一度もない人だったんだな。


オンラインゲームの終了時について

オフラインゲームの場合はゲームをしなくなったとしても、物質の形でゲームソフトは残っているから、数年後~数十年後にまたやろうかなって思った場合は、またできるんだよね。例えば、物持ちのいい人の場合は、自分が小さいころ遊んでいたものを、自分の子供と一緒にやることもできるの。(たいていは、数年後に処分してしまうものだけれど…。)


でも、オンラインゲームの場合はどんなに課金していたとしても、ゲームのサービスが終了したら何も残らない。ネット上のデータのコンピューターゲームをしていたから、オンラインゲームが終了したら残るのはその時の経験と記憶と気持ちだけで、しばらくすると生活のリズムも変わってくるから、たまに思い出すことはあっても薄れていく。その時ネットを通して絡んでいた人とも自然消滅みたいになる。共通の話題も無くなるし…。ネットやオンラインゲームってそういうものだから…。同じハンドルネームをずっと使っていたら、いつかどこかでまた会うこともあるかもしれないけど、レアケースになる…。


(けっこう好きだったゲームが終わる時にはキャラクターに対する思い入れもあったりするし、切ない気持ちになったりするものだけれど、それはそれで、期間限定で限られた時代の限られた人しかできないはかない価値があって、その時は楽しかったからいいやと今は思えるようにはなったんだけれど…。)


オンラインゲームの場合は、後々自分で楽しむためには、スクリーンショット等で画像を自分で保管しておく必要もある。


終了後新しいイベントの更新はしないけれど、しばらくは遊べるようにしていてくれた良心的なオンラインサービスもあったなあ。
それでも、新イベントが無いとだんだん人が少なくなっていって、たぶん諸費用がかかるからだと思うんだけど、オンラインサービス自体も1年後ぐらいには停止されるものではあるんだけれどね。

 

でも、時間に余裕をもって告知していて、ある日を境に終了するのもきれいな終わり方なのかな、とも思います。