いつもの愚痴/親戚に会うのが数年に一度ぐらいだったらな…。

家の近くに大きな神社があったりすると、お祭りがあるから、盆と正月のほかにも親戚が集まる回数が増える。

(会えば必ず嫌な思いをする親戚だったとしても、数年に1度だったら、または年に1~2度各2時間だったら耐えられる。うちの父方の親戚の子って、親戚で集まるたびに嫌な思いをしていたのは私だけじゃなかったんじゃないかなって思う。会うたびになんとなくマウンティングやプレッシャーかけられるから。いつも同じおばあさんやおばさんに嫌な思いをさせられていたんだけどね。民生委員って地元の富裕層の専業主婦のおしゃべりなおばさんのことも多いと思う。

全ての元凶はお年寄り。いばりたがりだから。自分より立場の弱い人や年下に対しても強く出る、いばりたがるけれど、実はそういうタイプの人って自分が若いころには年上の人や自分より立場が強い人に対しても強く出るというか、年上だからといって敬わないというか、ばかにしていばっていたようなところもあるものなんだよね…。すごく人を見るというか、立場や、性格や、人脈や、力関係的にばかにできる人、いじめられる人と、ばかにできない人、いじめにくい人を選別するというか。性格が悪いかもしれないけど、頭がいいっていえば頭がいいのかもしれないけど。そういったタイプの人とは本当は離れるか、無難な理由をつけて必要最小限しか接触しないか、型通りの表面上のつきあいしかしないのが心の平安のためには一番なので、実際に離れられる立場の人達はそうしているみたい。逆に、年を取ってからも自分より立場の弱い人や年下に対して嫌な思いをさせない人は、若いころも自分よりも立場の強い人や年上に対して嫌な思いをさせていなかったものだし。(性格が変わっていない場合。)でも長生きをすると同世代の人がいなくなってくるから、嫌な思いをさせられたらなおさら人が近寄らなくなってくるから。だから離れられない立場の年下の一番身近な家族や親戚に対して依存しながらいばるようになるんだと思う。

年長者で権力者でも性格がいい人は年下にいばらないものなんだけれど、性格が悪くて気が強い人ほど長生きで、長生きに対する欲求が強いものだからなあ。80代後半から90代以上となるともう気の持ちようで生命力が変わってくるように思います…。(でも、自立して生活もできなくなってくるんだけどね…。自分では元気なつもりでも…。長生きした人と一緒に暮らしたことがある場合は、客観的に見られるものなのだと思います。)性格がいい人は短命の傾向があるの。私は自分の寿命は60代ぐらい、長生きでも70代だったらいいなと思うよ…。たぶん、嫁ぎ先で同居で専業主婦でいつもそんなふうに姑から言われているから同じ口調になってくるんだろうけれど…。親戚だから嫌な思いをしても、毎年必ず数日間は何時間も、日によっては半日~丸一日一緒の時間を過ごさなきゃいけないから。家でやる宴会だから長い。)

 

それから、日本は法事が多すぎ。

1人の人が亡くなると、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、五十回忌、(宗派によっては二十五回忌も)があるから、親戚の数が多いと大変だ…。三十三回忌をもって弔い上げ(法要行事の完了)とする宗派もあるそうです。

血の繋がりはあっても、長寿だった場合は、33回忌、50回忌となると生前親しかった親戚も少なくなってくるし…。

仕事をしている世代の人は、休日が法要で終わっちゃうし…。

 

外国では、仏教国でも法事が無いそうです。あったとしても中国では三回忌までで、タイでは二大仏事(死亡時と100日法要)だけが多くて、1周忌や3回忌を行っている家族もいるそうです。

日本でも一周忌まで、もしくは三回忌までだったら、まだよかったなあと思う。(現在の日本では十三回忌までが一般的みたいだけれど…。法要のたびに○万円から○○万円かかるっていうしし…。生前にその人がどのぐらいそのお寺に寄進したかによっても、戒名等も変わってきて、金額も変わるみたいで、その土地の名士だと高額になる傾向もあるみたい。たしかに、お寺の備品や柵等に個人名が入っていると、地元の人で会ったことがない人でもりっぱな家なんだろうなって思うものね。日本のお寺さんによっては、33回忌でも、時期が近くなるとお寺に檀家の名前を張るから。檀家の方は忘れていても、もう半強制的に法要するような感じになっている…。まあ、古い家だと昔からの地域のしがらみとかもあるから。やめられるけどやめられないみたいなところもあるし…。それに法要をしたことは、きっと故人もどこかから見ているのかもしれないし、お供え物もなんらかの形で届いていると思う。もう成仏していると思われるけど、気持ちの問題で、まったく無駄なことでもないんだと思う。)

 

 輪廻という言葉があります。死んでは生まれ変わり、また死んでは生まれ変わるということです。その生まれ変わりに要する期間が49日で、この期間を中陰または中有(ちゅうう)と呼びます。 中陰の期間中、追善のための7回の法要は仏教に由来しますが、百ヶ日、一周忌、三回忌は、もともとは中国の風習です。 さらに、7回忌以降の法要は日本で付け加えられたもので、1600年代に始まった檀家制度に起源を求めることができます。

法事・法要の知識...法事はこれだけあります/ウェブ仏具

 

伝統的に、江戸時代までは誕生日を祝う風習はなくて、お正月にみんなで年を一つ取るという形だったらしいんだけど、人が亡くなった後の供養もお葬式が終わって49日、もしくは一周忌が過ぎた後はお盆とお彼岸にまとめてやる形でもいいのにって個人的には思う。

 


以前、30代、40代の女性が多く勤めている職場で働いていたことがあった。

義理の親とはたまにしか、盆と正月ぐらいとか、数年に一度ぐらいとかしか会わない方が良好な関係でいられやすいのかな、って思った。

 

義理の親が遠くに住んでいて、子供がいなくて、夫と二人だけの生活をしていた女性の場合。お正月は数年に一度しか帰らないって言っていたことがあった。数年に一度だから、いい嫁でいられる、とも。(私も、数年に一度だったら、結婚してもなんとかうまくやっていけそうだな…。)

 

義理の親が離れたところに住んでいて、子供(10代後半)がいて、夫との関係も良好な場合。毎年、お正月には帰省していたらしい。子供がいると、毎年帰ろうっていう感じになりやすいのかなあ…。

御主人の写真を見せてもらったことがあるけれど、にこやかなおじさんだった。夫婦関係も円満なんだろうな。彼女は、あまり仲のよくない女性で、格下だと思ったり、弱そうだと思うと、年上の上司の女性でも、仲のいい同じタイプの人達と一緒になってすごく悪口を言う方だったけれど、なぜか男性の悪口はあまり言わない人だったからなあ。ターゲットになる人と、ならない人がいて、男性はターゲットになりにくかった。一番の攻撃の対象が女性だから、男性でたまに言われるタイプの人でもそれほど言われないこともあったのかも。(上司の女性が男性か、コミュニケーションをとるのが上手なタイプだったら、あそこまで悪口を言われなかった気がする。)男を立てる感じがしたの。義理のお父さんのことを話す時も、遠慮しながら話している感じがした。

 

義理の親が近くに住んでいて、子供がいて、夫との関係も少し問題があった女性の場合…。

(御主人は職場の前まで来たことがあったけれど、年下の、若くてかっこいい人だった。でも、職場の女性と浮気していたみたい…。かっこいい人って浮気する確率が高くなるのかな。あれがおじさんぽい人だったら職場の女性も嫌がっただろうけれど。)(彼女は、めんくいの部分も持っていた人みたい。私もそうだけど…。ジャニーズ系の男の子のことすごくかっこいいって言っていたのを聞いたこともあったし…。子供も大事にしている母親でもあったけれど。)

彼女自身はまだ30代前半だったのに、おばさんぽかったからな…。子供が多くて、あまり条件のよくない職場でフルタイムで働いているとしかたないのかも。ただ、奥さんが30代40代になっても、外見だけじゃなくて言動や所作も含めてきれいな人って、親と別居で御主人が高収入か、本人が安定した収入を持っているケースが多いような…。生活に時間的・金銭的な余裕があるのと、外見にお金と時間をかけられることもあって。

彼女は、主婦として社会人として常識のある人だったけれど、職場では常に愚痴と悪口をこぼしていたなあ。義理の親のことも悪く言っていて。でも、たぶん、目の前では、ぎこちなくなってしまっても、普通に接していたんだろうなあ。(私も、それほど仲がよかったわけでもなかったんだけれど、目の前では普通に話したり接したりしてくれるけれど、影ではなにか言われているのかもってちらっと思ったりもした。)


 

経済的な面から見た場合、大企業の正社員や公務員の女性だったら、結婚しても結婚しなくても、生涯自分で働いて安定した収入を得られるし、十分な年金ももらえるからいいかなって思う。

  

最低賃金程度の収入で働いていたり、収入がある程度あっても非正規雇用の女性は、フルタイムで働いて1人暮らしをしているよりも、安定した収入のある性格のよい男性から好きになってもらって大事にしてもらって結婚する方が、精神的にも落ち着くと思われるし、経済的にも安定するんだよね…。ただ、経済格差がある場合、気持ちよくお金を出してもらうように奥さんは普段から気を配るものなのだと思われるけれど…。家族や恋人とはいえ、会社の上司や、取引先や、お客様みたいなところもあるよ。(これって、男性と女性、子どもと親、売り手と買い手で言い換えもできるなあ…。)パートやアルバイトの最低時給自体がお小遣いや家計を助ける程度の金額に価格設定されているし、ある程度安全性の高い賃貸で1人暮らしをして貯金ができるぐらいの収入があった場合も非正規雇用の場合は不況になったり、会社の指針の変化によっては簡単に切られてしまうから…。収入が安定していない女性の場合、子供のころは親に経済的に守ってもらって、親元を離れて結婚してからは配偶者に経済的に守ってもらう形が経済的に安定するための王道でもある…。(こういう点では、現代でも江戸時代と感覚がそんなに変わらないなあ…。男女で言い換えもできるけど、女性は毎月生理もあるし、出産の可能性もあるから…。体力面から見ても、男性の方が外で働くのには適しているんだよね。)

 

女性が男性を立てるのって、その方が得だからなんだと思う。特に妻が夫を立てるのっていうのは、年収の差があるんだと思う。もしも、離婚されたり、機嫌を損ねて生活費を入れてもらえなくなったら、収入の少ない女性の場合、気持ちの持ち方は変わらないかもしれないけれど、世帯年収が変わることで生活環境が大きく変わるから。

 

一昔前の男性の場合は、1人暮らしでフルタイムで働いていたら料理と洗濯と掃除がすごくめんどくさかったから結婚したという人もいるみたい。照れ隠しでそう言っているだけで、実際はかわいかったからとか、好きになったからなのかもしれないけど。数十年前の日本の風土もあるけれど、現在みたいに外食産業や出来合いものや家事サービスが発達していなかったから。これもわかるな。フルタイムで働いて疲れて家に帰ってきて、さらに毎日家事もやるのも大変だものね…。女性でもフルタイムで働いている高収入の既婚女性の場合は、家に帰ったら本当はなにもやりたくなくて、家事を全部やってくれる、奥さんが欲しいってこぼしているって聞いたことがあるし。 現在が独身率が上がっているのって、家事サービスや外食産業が充実しているから、1人暮らしでも収入の多い人だったら、貯金はしにくくなるけれど、毎日利用できるのもあるのかも…。

 

だから、選択肢の広い女性だったら、最初の段階ではより条件のいい人を探すものなんだと思う。求人で言えば、学生ができるだけ条件のよい正社員の仕事を求めるようなものだ。また、最初は条件を見ていても、お見合いとか、友人や知人からの紹介からの出会いでも、長く付き合ううちに気持ちの結びつきができてくるものなんだと思う。

だれでもすぐに信用してしまうのも、利用されたり、だまされたりすることもよくあるから自分を守るために人を見極めないといけないけれど、信用しないから信用されない、すごく好きにならないからすごく好かれないということもあるんだろうな。感情が一方通行かどうかとか、どちらかの気持ちの方が大きいかとか、両方共同じぐらい同じような大きな感情を持っているかとかは、つきあっていくうちに伝わるものだし、そこまでの精神的な関係が築ける前に離れてしまうこともあるし。

仕事で成功するためには取引先や消費者の風土を理解することだというけれど、プライベートな人間関係でうまくいくためには相手の気持ちや属する文化を理解することになるみたいです。お互いの空白度や魅力度が同じぐらいで、お互いに相手のことを尊重していると人間関係ってうまくいきやすいのかな…とも思います。逆に、想像だけで動いていて、実際に接した相手の立場や気持ちを見ていないで踏み込み過ぎる(踏み込まれ過ぎる)と嫌悪感を持たれる(が出る)のかな…。人間関係がうまくいっているといっても、全ての人と同じような付き合い方になるということでもなくて、距離感やうまくいく付き合い方がどの程度になるのかは、それぞれの立場や関係性によっても変わって来るんだろうけど…。

 

また、一昔前の日本の女性の場合は、結婚後にどんなにつらい思いをしても、離婚しなかったみたいだけど…。例えば、夫が自分のお給料を1人でほとんど使っちゃうような、お金遣いの荒い人だと発覚したとしても、少ない生活費でやりくりしてがんばったり、同居で姑や小姑からどんなにいびられてもだれにも愚痴をこぼせずに耐えたり。それで、実家も遠くて逃げ場がどこにもないと新興宗教に救いを求めたりするという…。そんな奥さんは偉いと思うけど、そういう男の人と結婚した女の人はかわいそうだなあと思う…。

現代でも、夫が転職したりして環境が変わっても、ずっと一緒にいる奥さんもけっこう多いみたい。考え方が古風だったり、かけがえのない人だという思いが強い女性の場合は、環境が変わっても支えていく人が多いのかなあ。(見切るのが早いタイプの女性でも、哲学を持っている人の場合、または好きになった相手だったら支えていくのではないかと思われます。)

 

(好きになってもらったり、心地よい時間や空間を過ごしてもらうことで利益が出る仕事もあるんだけれど、自分にとって有益なことであるという考え方を広めたり、身近な周囲の人とのコミュニケーションの関係で流行っていたり周囲の人達が楽しそうにやっていることだから、同じ時間を過ごしてみたいと思ってやってみようかなという感じだったり、劣等感や不安感をあおって解決策を掲示することによって利益の出ることもあるので…。なので、情報、サービス、品物の提供者に対しては疑問や嫌悪感を持たれないように人を不安にさせればさせるほど、お客さんの競争意識をあおるほど利益が出る仕事っていうのもあるんだけれど。どんなに嫌な思いをさせても、利益になる場合はだれかしら人は近づいてくるものだから…。また、品物でも情報でも普及しきってしまうと、売れなくなったり、見られなくなるから、利益が出なくなる。流行の物は一種のエンターテインメントにもなっていて、見せ方がうまいなと思うこともあるんだけれど。でも、話題のものだから1度は(何回か買って(行って)みようかなという人がいなくなったり、リピーターになっても新しい価値観が普及しきってしまうと、その業界が縮小して、新しい品物や情報を商売として提供している人の収入は無くなってしまうから、死活問題となる。だから、しばらくすると今までとはまったく別のことや反対のことを新しい価値観として出したりして、利益を出し続けられるようなシステムにしているんだと思う。(特に経済や政治に絡むことだと、この間までマスコミでよく言われていたことと矛盾していると時々思うことがある…。学術的なこととか、医学的なことの場合は、普遍的な価値観があるけれど…。あと、大きく宣伝されていなくても売れ続けている定番の品物やサービスや、基礎教養のようになっている情報や長い間言われている情報にも普遍的な価値観があるとも言えるなあ。身内でも、最初にやってあげたら喜んでくれたけど、それが当たり前になってどんどん要求がエスカレートしていって、それでも不満になることがあるんだけれど、結局、要求を満たしてあげたり、不満を出すことがコミュニケーションになっていたりするから…。話を聞いてあげて、精神的なコミュニケーションをとれるようにしたら、限界まで仕事をしていなくても、不満がでなくなったりもするし。物やサービスを求めているのではなくて、実は人との繋がりやコミュニケーションを求めていたということもあるしなあ…。それでも、消費って投票みたいなものだから、消費者の立場からしたら、価値があると思うならお金を払って利用すればいいし、もったいないと思うなら利用しなければいいだけのことなんだけど…。そういう仕事も嫌だなって思うけれど…。だれも来なくなれば環境も変わるんだろうけどね…。でも、友人や身近な人の場合は、そうすると、離れられる立場の場合は、離れていったり、まともに相手をしなくなったりするから。)

 

だから、もしも、生涯平均年収が男女で変わらなくなったら、女が男を立てる文化も、男女の関係も変わってくると思う。家族関係がうまくいっている専業主婦やパート主婦の女性ってすごく男性を立てると思ったことがあるけど、同じ大学の卒業生同士で結婚した収入が同じぐらいの、高収入の正社員同士の夫婦って友達同士みたいな感じがあるし。現代日本は、一般的にはそういう世の中ではないけどね…。人間関係って収入やお金の流れによって変わってくるんだなあって思う…。