別冊歴史読本53 古神道・神道の謎

別冊歴史読本53 古神道神道の謎
新人物往来社
1996年発行

図書館にて、本田式鎮魂帰神について載っている本を探して、借りてみました。

開架部に置いてあった神道の本の中で、鎮魂帰神についての記述があったのはこの本のみでした。
写真や絵が豊富な、10数名の寄稿から構成されている、古神道神道の百科事典的な読み応えのある本です。これ一冊読んだら古神道についてかなり詳しくなれそう。

返却日までに読み終えませんでした(汗



本田式鎮魂鬼神

手の組み方の写真が載っている。

これは、神道系の新興宗教のお祈りの仕方と共通している……。

古神道の行法の中でも崇秘とされているのが、鎮魂とか帰神である。鎮魂とは、自らの魂を鎮定することであり、帰神とは神懸りのことだ。」

「神感法はこちら側の意思ではないので別格として、帰神法を一人で行なうことは、未熟な人の場合邪霊等が憑ってくるので危険であり、そのため、その憑りきたるものの正邪高下などを判断し、場合によっては、その霊を祓うことのできる力を持つ審神者がいて行なう他感法を親徳は重視した。」

これは、神懸かりのための方法で、悪い霊が来てしまう可能性もあることだったのね……。一人で行なうことは危険なことで、霊を祓うことができる人がそばにいることが重視されていたとは…。

だからだったんだ…。このお祈りの方法は、本で読んで個人でやるものではなかったんだな……。



巻末の、近年の神道関係者の項目で、天理教の教祖の中山みきさんという方について語られていた。裕福な農家に嫁した方だったが、神懸かった後、彼女は、「世界中の人間の悪しきを払って助け合っていくことを自ら示すために、貧しい人びとへの施しに家財を傾け、まっしぐらに貧の谷底に墜ちきる道を選んでしまう。当然、家族・親類・知人たちからの忠告・反対・嘲笑もあった。なかには彼女の慈悲をうけて慕い寄ってきた者まで、資産がゼロになると離反していった。」
しかし、彼女は生涯人に対する施しを続けたという。(ようやく手にした米さえ)
また、権力者の没落を予言していたという。

という部分を読んでうーむと思った。施しが無くなったら離れていくような人達のために、無くなるまで与え続けたのね。困っている人がいた時に助けることはありだと思うけど、やり過ぎだと思う。それに、そんな方法だと続けられないし。

 

(質素に倹約しつつも商売の才能もあるような人のほうが、資金を調達しながら、お金を稼ぎながら慈善事業もするような方法の方が続けられるんだろうな……。)

 

宗教の教祖でなくても、意外とそういう家庭って、村の人が困っていたら助けて、自分の家が貧しくなってしまったっていうような、は昔の日本にはあったらしいけど……。

一般的には、自分が続けられるような、生活の負担にならないぐらいの助け方でいいと思う……。

全て与えて何もなくなるという。まあ、立派なことだと思う。宗教家ってそういうふうな生き方をしている方もいらっしゃるし。でも、それは自分の意思でやっていることであって、それをほかの豊かな人にも強要して、没落するだのと脅すようなことを言うのもどうかと思うし。これって現代の社会保証の問題でもあるけれど、豊かな人があげるだけだと、ただ与えられるのを待つだけになっちゃうこともあるし…。


また、そのほかの新興宗教の教祖に、姑のいじめのひどい家庭に嫁いだという、女性もいました。新興宗教を起こすような気持ちになるほどの嫁いびりがあったんだなあ…。(今の時代だったら、別居もできるけど…。)


古神道修行の体験

神社での古神道体験記がつづられていた。

礼拝、掃除。

掃除も修行の一つとのこと。(日本人がきれい好きなのは神道が関係しているのかな。)

別の記事で、神はきれいなところでないと降りてこないとも書かれていた。

だから、神社に参拝する時は、手と口を清める場所があるそう。


神主さんが儀式を行なう時には、禊をし(体を清めてから)、洗い立ての真っ白い衣類を身に着けるそう。


言霊って神道で言われていたことだったんだなあ。

一つ一つの言葉に「霊」が宿っているという思想。


古神道行法入門」
江戸時代の人のトンデモ説

平田篤胤氏は、国学四大人の1人で、神道霊学の先駆者として評価されている方らしい。

復古神道の教祖的存在。一千巻の著述。

 

でも、すべての起源が日本にあり、日本が世界で一番尊い神国であるということも、著書に記していたとのこと……。

現代日本人が冷静なのって江戸時代があったからなのかな(^_^;)