閲覧注意・少し愚痴・もやもや人間不信感… 人好きのする人物・整形よりも、ヘアメイクやファッション、心の持ち方や人間関係を変えることの方が好感度を上げるためには重要だと思われます。

うちの母は若いころとてもモテる人だった。笑顔を振りまくタイプではないんだけれど。インドア派で、昭和の清純派女優のような優しそうな雰囲気で、体型がマリリンモンロー系。それから、私とは違って、母は肌が荒れたことがないらしい。

1人暮らしをしていたころは、家にテレビが無かったこともあって、夜10時には寝ていたらしい。(新聞は取っていたらしい。若いころはラジオは聞いていたみたい。)1960年代はそんな人も多かったんだろうなあ。それから、甘い物が苦手で、ふだんは食べない人です。母が食べない分、私がもらうこともあります…。お茶等も含めた一日の水分量も適量なので、腎臓に負担がかかっていないんだと思われます。若いころは、ファンデーションはつけていなくて、外出時のお化粧は口紅だけだったらしい。化粧品は肌に負担がかかるからね…。最近は敏感肌向けの化粧品も出ているけれど…。それから、20歳ぐらいのころから父とつきあっていたからなのかなあ、やっぱり…。個人的な統計によると、恋人がいる人や結婚している人って思春期を過ぎてからも肌荒れしにくい体質になっているみたいだから。女性ホルモンが出るんだろう…。

 

私も、インドア派で、母を知っている人から容姿は似ているとよく言われるけれど(優しそうな雰囲気が出ている時は特に、そっくりだって言われることが多くなるみたい)、モテない。醸し出すオーラの違いなんだと思う。子供のころから基本的にどんよりした空気を身にまとっていたから、友達つくりにくいタイプだったし。

暗い感じがしない時でも、子供のころは、我関せずみたいな雰囲気があったし。そういうキャラがプラスに働く場合もあるけれど、マイナスに働く場合も多々あって。場所や会う人によって、立ち居振る舞いを変えていったらよかったのかもとも思うけれど。子供のころは、自分にとってのふさわしいふるまいを行く場所や会う人ごとに変えることなんて器用なことはできなかったからなあ…。だから、人がたくさん集まる場所では反感買いやすかったのかも…。存在を無視されているような気がされて。逆に言うと、人に干渉されにくくて、自分の時間をたくさん持てるっていうことなんだけれど…。

 

特に子供のころは、口数が少ない上に、ダサいとか、オタクっぽい雰囲気があったからだと思う。それだけで好感度は下がりやすくなる…。同じぐらい口数が少なくても、おしゃれな人だったり、明るい雰囲気とか、穏やかな雰囲気があったら、また違ったんだろうな。

 

それに、あんまりもてたいとも思わなかったなあ。子供のころは。だって、モテる人って、少女マンガに出てくるようなきらきらした男の子だけにもてるわけじゃないから。気持ち悪いタイプのおじさんにもモテるから、拒否感を出していかないと、身を守れないんだろうし。

 

私も、一人暮らししていた時期は一瞬性格が明るくなっていて、老若男女いろいろな人から声をかけられやすくなっていたこともあったけれど、対応に困ったこともあったし。(微妙に下心のありそうなおじさんやおじいさんも近寄ってきやすくなっていたし。痴漢とまではいかないんだけれど。よくわからないけれど、距離が近いとなんとなく嫌っていうような。)フレンドリーに年配の女性や、同世代の男の子や女の子から話しかけられても、声をかけられ慣れていなかったから…。その時期は、友人をつくる気になったら、たくさんつくれたと思う。その時は、なにか、ただ話をしたいって思われる雰囲気が身についていたんだと思う。別に、ただ他愛の無い話をするだけの友人関係でもよかったんだろうけれど…。

一時期、きつい仕事に就いていたせいもあって、会話をする、話しかけられる=なにか要求をされるとか、きちんと対応をしなければ、というイメージを持つようになって。もともと口数が少なかったのに、ますますあまり知らない人と話をすることが苦手になってしまったんだよね。本当は、なんの利益も損害も出ないような、他愛のない話も人間関係には重要なんだけれどね…。

 

整形よりも、ヘアメイクやファッション、心の持ち方や人間関係を変えることの方が好感度を上げるためには重要だと思われます。

 

最初から興味持たれなかったら、そういった気苦労もいらないし…。

 

あと、ずーっとちやほやされてきた人って、外される側の気持ちがわからないんだよね。平気で仲間はずれにするの。自分さえ充実していれば、自分だけ満たされていたらいいような。自分がほかの人を外すのは平気なのに、自分が満たされないと周囲が冷たいと言う。それか、ずっと人気のある人にありがちだけれど、評価されている時は情緒が安定しているけれど、自分と近いポジションにいるほかの人が評価されるとつまらなそうになるという(いつも情緒が安定していたのは単に、周囲の人から評価されていたからなのかも…。)。たまには別の人に花を持たせてあげてもいいのにって思ったこともある。それが無意識で悪気無くできちゃう人だから…。それでも、(特に若いころは)魅力のある美人だから、人が集まってくるっていう。(うちの母は今は60代だけど、今でもなんか雰囲気がかわいい時があります。年相応に見えることもあるけれど、いまだに美人だなと思うこともあるし。)それが他人だったらああいう人もいるよねって離れられるけれど、家族の場合は、特に子供のころは離れられないから…。

 

私は、今は、自分のことを軽く扱ってくるモテるタイプの人よりも、大事にしてくれる普通の感じの人の方を好きになるべきなのではないかなって思っています…。老若男女問わず…。それだったら、お互いの重要度が同じぐらいっていうことになるから。お互いに軽く見ていて、お互いに重く見ているっていうことになるから…。

だれしも、割ける時間もお金も限りがあるしね…。同じ空間と時間を共有しながら、だれかの重要度が低いというのも悲しいものもあるけれどね。耐えられない存在感の軽さ。普通に、目の前にいる時は、存在を無視するような感じにはならないといいと思う…。

 

 自分の家族に対してもそう。どこかの有名人、外国の女性化学者だったかな、も、お姉さんと母親が仲がよすぎて、妹をいつものけものにしていて、それで家族関係が大人になってからもギクシャクしていたという話も読んだことがあるけれど。

どこの家でも親って、一番かわいい子、二番目にかわいい子、三番目にかわいい子、って実の子供でも区別があるものなんだと思う…。でも、それを子供に悟られたらいけないと思う。みんな、自分のことが一番好き、または同じぐらい好きだって子供に思われているぐらいでないといけないと思う。

他人だったらあきらめもつくけど、実の母親がああいうタイプの人だと、自分はなんなんだろうって思うこともある…。そのくせに、実家や家族や親から気持ちが離れだすと嫌みたいだったし。

それでも、かわいがられてはいるんだろうし、子供としての愛情は持っているんだろうけれど。あまり面と向かってはっきり言われたくないという…。

 

ずっと存在を無視されているような感じが子供のころはあって。

そのくせに、私が離れて、私の別の場所をつくろうとすると、嫌がったり干渉したりするという。あと、美意識が高い人にありがちだけれど、美を保つことに関しては、自分優先になりがちだし。ジャンルが違う時はかぶらないからいいんだけれど、かぶるようになると特に年下は…っていうことがあるし。暗黙の了解みたいなこともあるし。こだわらない部分についてはスルーされるんだけれど、そんなにこだわるんだったら…って思うこともあったし。それで、だんだんめんどうになってきて、ごくごく基本的なこととか、一般的なこととか、平均的なことしかしなくなってくるという。本当に離れるためには、社会人になって、実家から離れて、収入を得るしかなかったんだろうな…。

 

母と姉は、充実していたみたいだけれど。ずーっと話していて。でも母の情緒が安定していたのは、姉がいたからだった。母は、仲のいい話し相手が1人だけいたらいい人だから。姉も、私のことを外して平気な人だし。いつも家の中でそんな感じだったから。そのくせに自分の都合によってつきあわせたりしたし。逆に姉のお友達の方が私のことを気を遣ってくれたこともあったなあ…。そんな姉も、家の外では人気のあるタイプの人だったし。横暴なのは妹に対してだけで。よその人には丁寧でも、身内には厳しいという。そんなことって、どこの家庭でもあると思うけれど。それに身内だから、あまりよその人に対して自分の家族の悪口言えないし、言わない方がいいし。そんな家庭環境なのかとか、そういう目で見られちゃうから。(兄弟で、一緒に住んでいると、年上の兄弟から言われた場合に断れないっていうこともあったし。今でも、近くに住んでいたら付き合っていたんだろうな…。今は、離れているからほとんど会うこともなくなったけれど。大人になってから、たまに会っても他人行儀な兄弟になっている…。大人になってからも仲のいい兄弟がうらやましく思う気持ちがありつつも、必要最低限しか、関わりたいと思わないという。)

どうしたら認められるんだろうってずっと思っていたんだけれど。結局、話し相手がいなくなって、空白ができて、その人が寂しくなるまではだめだった。

でも、そういう人って、臨機応変に場所をつくることができないから。人数が増えたら増えただけ、人数が減ったら減っただけの、その場所の居心地のいいような感じ。

その場所において一番影響力が強い人がそういうタイプだと、満たされない気持ちになる人は出てくる。

 

弟と、父は、また人間関係の意味が変わってきていて。二人とも男の子で長男だからね…。それだけで大事にされるし。父の場合は、自分の妻子よりも、自分の親兄弟との人間関係の方が濃い感じもずっとしていたし。こういう部分もあるから、三世代同居も嫌だなって思うんだよね…。間に入る人が、いろいろなことをごまかしやすくもなるしね…(間に入る人の性格によってまた変わってくるんだろうけれど。)。あと、昔の姑や小姑ってお嫁さんをいびるのがなによりの趣味になっていた人も多かったみたい(そうでないタイプの人もいたんだろうけれど。)。金銭面のごたごたも出てきやすいし。お嫁さんが専業主婦が普通だった時代の人と、一生自立できるだけの収入がある人とでも考え方が違うし…。

 

こんな屈折した感情を持ちながらも、でも、表面には出さずに、普通にずっと暮らしていくんだろうなあ…。 もう、無難に暮らしていくしかないという。でも、向こうとしては、なにが不満があるのかわからないという。ただ、平穏な生活をしている、と。理解し合えないけど、でも波風立てるわけにもいかないという…。もう、十分大人だし。いまだに経済的に頼っていることもあるし。思春期だったらまだ、とも思うけれど。こういったことは何も言わない方がいいことなんだろう…。 

 

でも、40ぐらいになってくると、この辺のこともどうでもよくなってくるし。寂しそうでも話し相手になる気にならないだけで。小さいころみたいに、お母さん、お母さんってなつかないけれど、一応は普通に話して、そんなに悪い関係でもないっていう。家族なのに。

伝説 

  • どこへいってもだれかから話しかけられてすぐに友達ができるから、自分から話しかけたことなかったらしい。 
  • 20代半ばのころに、独身男性の多い職場で働いていたころ、固い仕事で既婚者で子持ちなのに、職場に母のファンクラブがあったらしい。
  • 子供のころ、家族で旅行で牧場に行った時に、母が馬にキスされていた。きれいな人って動物になつかれやすい気がする。(私も1人暮らしをしていたころ、初めて行った猫カフェの猫が何度も私の顔を確認してきたことがあった。なつこくて、かわいかった。大人の猫や野良猫の場合は、目を合わせるのは嫌がるものだけれど…。猫カフェの猫って、猫好きの人が集まる空間で育っているから、人間を信頼している感じがする。でも、あの場合は、たぶん、猫カフェの常連さんで私に似ている女の子がいたからなんじゃないかなって思う。その時、私一人暮らししていたから、髪型を頻繁に変えていた時期で、茶髪ボブでパーマをかけていたんだけど。生後10カ月の黒の雄猫だった。)
  • 母がデパートで洋服を選んでいると、なぜか人が集まってくる。
  • 人がたくさんいる場所でも、母はよく道を尋ねられる。
  • 私が中学生の時、母が授業参観に来た時に、「あのきれいな人だれ?」という感じで女子達が噂していた。(当時母は40代だったけれど、キャリアウーマンのかっこよさがあったからなあ。ちなみに私は彼女達からはダサいと思われていました…。顔は似ているんだけど、雰囲気の違いかな…。)
  • 人がたくさん集まっている場所で、なぜか母だけが中年男性に絡まれやすかった。ほかにもおばさんがたくさんいたのに。(絡まれることをすごく嫌うタイプだったので、そっけない対応をしていたらしい…。)
  •  弟が幼稚園のころに、「お母さんってかわいいね。」と言ったことがあったらしい。(当時母は30代前半。家ではいつもノーメイクだった。)私も言葉に出しては言ったことなかったけれど、きれいだなって思っていた。