上流社会、中流社会、下流社会

それぞれの社会は垣間見てきた。

 

結局、どこへ行っても根本的な人生の豊かさでは同じだなという結論に…。人間関係に寄る。よい人間関係を築ける場所だったら、充実した気持ちになれる。

どこに行ってもいい人もいれば、嫌な人も、人の悪口と噂話ばっかり言っている人もいれば、普通の人もいたし、雰囲気のいい場所も悪い場所もある…。

 

雰囲気のいい場所もあったけれど。全体的に和気藹々としたところって、環境づくりがうまくいっているんだと思う。そこの一番の責任者の人が、気を配ってくれていたりするから。(でも、1人でもずっとなじまなくて暗い空気を持っていると、全体的な空気もだんだん重くなることもあります…。)逆に、攻撃する対象を探すタイプの人の影響力が強いと、雰囲気が悪くなりやすいように思います…。(仲良くなれば言われないというような。弱いから攻撃するんだろうけれど…。それが悪循環になっていたりする…。ほんとうは、そんなタイプの人には、強い影響力が無い方がいいんだけれど…。)

 

富裕層の家庭の姑の嫁いびりがひどいのもよくあることだし。

逃げられない自分より弱い立場の人に対してはいじめる人は、どこの世界にいってもいる。だから、現代みたいに女性の選択肢がたくさんあって、離婚しても一生自立して生きていける女性が増えたのはいいことだと思います。嫁いびりがひどかった場合に、別居したり離婚できる現代の方が健全。昭和の時代はどんなにいじめられても耐えるお嫁さんが多かったから。実家が近かったら息抜きして、それで実家のお嫁さんをいじめて発散したりしていたんだろう…。でも、実家が遠い女性は逃げ場が無いから。親兄弟も学生時代の友人もいない。仕事をフルタイムでしていて子供もいて家事もしていると、自分の時間を持てないから、新しい友人をつくる余裕も無い…。それで新興宗教にはまったりするんだろう…。周囲に理解者がいなくて、孤立していたりして、よっぽど精神状態が悪くならないと、新興宗教に入ろうと思わないだろうし…。

 

逆に、富裕層の家庭でも、嫁をいじめないような、性格の優しいお姑さんもいるし。

 

でも、中流階級下流階級でも嫁いびりがひどい家庭があるとも聞いたことがある…。お嫁さんが優しい人だと、経済的に自立できる女性でも、夫に浮気されても、介護が必要な年老いた義理の親を見捨てられなくなるから、離れにくくなるみたい…。

 

 富裕層では金銭的な諍いが起こりにくいかっていうと、そうでもないし。

単位が少ないレベルでは起こりにくいけれど、大きいレベルだと起こることもある。

これも、人に寄って、それほど固執しない人もいるし。

自分の身を守るためには、財産を守るためには、受け入れないことや避けることが必要になってくることもあるんだけれど…。富裕層の人の場合、悪い人にだまされる可能性も高くなるから…。

 

嫌われたくなかったから、格差が出るような言動は避けるようにしていても。もともと普段の生活は、インドア派だし、地味な方だけど。違うなって思ったこともあるし…。

 

ただ、下流社会だと、単位が少ないレベルでの金銭的な争いが起こることがあるから。

それから、労働環境等に対して改善策があったとしても、雇われる側の場合は決定権を持っていないから、いつまでも大変なまま。実行すれば、現場の負担が減少して離職率も低くなると予想されるのに、少しでも収益が下がったり、費用がかかると予想される改善策の場合は採用されなかったみたい…。それで、精神的にも肉体的にも大変なことを知っているから、一番大変な部分は雇っているアルバイトの子に押し付けて、一番大変な時間帯には現場に来ようとしないっていう。(待遇が非常に悪い職場は離職率が高いので、中小企業にも関わらず1年に何度も求人広告を出しているものです。)

そういう意味では嫌だなって思ったことはある。

 

これも、人に寄って、それほど固執しない人もいるし。

逆に、協力したり、助けてくれる人もいるし。性格が協力的だったり、味方だと認識されると、手を差し伸べてもらえやすくなるんだと思う。お互いさまなのかな。(これも、どこへ行ってもそういうことってあると思う…。協力したら、協力してもらえて、攻撃的だと、攻撃的になる。でも、もしも仮に、どんなにいやなことをされても協力する人がいたとしたら、その人はだんだんいろいろな人から利用されやすくなって、(または、やればやるほど当たり前になってしまう。その人や、その人と似ている境遇の人が普通にすることのレベルが上がっていって、たまにする特別なことのハードルが上がっていくだけになる…。)格下のように思われて、人間関係に大きな問題を抱えるようになって、最悪の人生を送るようになるだけです。ある程度までは親切にすることはありかなとは思うけれど、親切にしても、感謝の気持ちもなく、親切を返されることもなく、格下に見られて利用されるだけだと感じるのなら、どこかで区切るべきことだと思う。宗教の教義なんかでは時々「汝の敵を愛せよ。」とか「だれにでも優しくすべし。」とか「人の悪口は言わない」等、言われているけれど、人間界のことはよくわかっていない、無責任なことだなあと思います…。たまになら、適度な人の悪口は、抑止力になることもあるから…。)

ただ、宗教を信じている人の方が性格が優しい人が多いようには思います。(長くやっていても、知識が豊富でも、習い事感覚の人の場合はそうでもない…。もともとの性格がそのまま出るだけなのかもしれないけど。)

 

服装・髪型・体型の雰囲気や、年齢や、財力が近い方が、仲良くなりやすいのかなとは思ったことはある…。感性やものの考え方が似ていることが多いし…。

だんだん、おごってもらってあたりまえみたいになってしまうこともあるし。

どうしても、対等になりにくくなるから…。