宗教の本や道徳の本に載っていることって…

道徳的な本や宗教の本に載っている通りにだれにでも優しく親切にしていると、どんなに嫌な思いをしてもまじめにやっていると、だんだんずるい人や悪い人から利用されやすくなってくるの。

 

それで、自分のことがずるいとか悪いとか自覚していなかったりするんだよね…。それどころか、その状態でいることが当たり前で標準になってしまって、親切心からそうしていたのに、やらないと逆に非難されるようになる場合もあるし。あるいはあの人(あの子)だったら、利用できると思われているか。

 

コミュニケーション能力が高くてたくさんの人と話をするタイプの人だと、そういう状態にはなりにくい。

 

おとなしくてあまり人と話さないタイプの人が黙々とやっているとそうなりやすい。

でも、人とあまり話をしないタイプの人が何年もそんな状態だったのを影響力があるいろいろな人に話しはじめると、急に改善されようになるというのもよくあるんだよね。(話せる人がいない場合には、今の時代は匿名で固有名詞は出さずに、場所や人が特定されないようにネットに書くのもおすすめ。アクセス数が少なくても人物は特定できなくても、何年もネットにその話を置いておくと、なぜか世の中にそのエピソードが広まるので…。)


 

子供向けの本や宗教や道徳の本で語られることで、例えば、人が困っていたら助けようとか、人の悪口は言わないようにしようといったことに関して、今では時と場合と相手によるなと思うようになった。

 

評価されるような環境の場合もあるけど、どんなに嫌な思いをしてもあの子はだれにもなにも言わないし、まじめにやるとわかると、それを利用しようとする人が出てくる場合もあるから…。

 

宗教の本の場合は、亡くなった後のことまで込みでそういったお話をしているんだろうけど、今現在も大事だし。

 

宗教の本や道徳の本の元になった言葉を言っていた人達は、コミュニケーション能力が高い人たちだし。

例えば、宗教の教祖の場合は特殊能力の持ち主だから。その時点で普通の人と条件違うし。

ある人物の場合は、肖像画を見たら、陽の力強いエネルギーが出ている大男だったから。ああいうタイプの人だったら、人に対して謙虚になるぐらいで人づきあいが円滑にいくんだろうな。当時で身長180cmだったら、当時の男性の平均身長が160cmぐらいだったと思うから、今でいったら身長190cm体重100キロぐらいの筋肉質な大男が話しているようなものだと思う。プロレスラーが通り魔に合わないようなもので(ニュースになる通り魔事件って被害者はだいたい1人か少人数でいた女性か子供かお年寄りだし。通り魔ってプロレスラーみたいな大男とか、大勢でたむろしている血気盛んな若者は狙わないのかね。それとも、狙っても返り討ちに合うからニュースにならないのかなあ。)。コミュニケーション能力が高くない一般的な体格の人物が同じことをやっていたら、悪い人から利用されやすくなるだけだと思う。

ある人物の場合は、平均的な体格であっても武道をたしなんでいたりするし。あと、謙虚であれって言っていても、実際には御本人は気の強い性格で、だからこそ自制のために言っていたのかも。理不尽なことがあったら、離れるか、なんらかの行動に出る人だったんじゃないかなと思う。そうじゃなきゃ長期間会社を経営することはできないと思う…。

それから、女性でどちらかというとおとなしい性格で人の悪口言わないタイプの人でも、人の攻撃の対象にならない人もたまにいるけど、あれも一種の才能だと思う。嫌なことを言わなくて、基本的にいつも笑っているみたいな顔をしていて、コミュニケーション能力もあって、みんなから好かれている。みんなから好かれているから、なにかあることもないんだけど、仮に何かがあってもかばわれるんだと思う。でも、そういう人でも本当に何か嫌なことがあったら離れると思う。離れられるから、明るい性格を保てているのかも…。(「若いころの苦労は買ってでもしろ」という言葉もあるけど、回避できる苦労をわざわざ買って苦労することはないと思う。体調不良になったり人間不信になることもあるから。苦労するだけの価値があるなら自分の負担にならない程度に苦労するのにも意味があるけど…。基本的には回避できなくなった時に苦労すればいいと思う。そういう子って、たいてい一人っ子か、兄弟が多くても母親から一番かわいがられていた子なんだよね。(今どきの良識的な親は、子供はみんな平等にかわいがっているって言うものだけど…。)それで、たぶん家庭も平和なんだと思う。核家族だったりして。人の悪口ばっかり言っていたり、ヒステリー気味の家族がいないんだと思う。