もやもや注意:あまり校正していないから読みにくい文かもしれないです

人生、楽しんだもの勝ち、楽しませたもの勝ち

 

「顔かお金」っていう価値観を持っているタイプの人もいて。

 

それで。

 

貧乏人ほど、お金持ちを楽しませることが大切だっていうのも一理あるんだよね、やっぱり…。それから、営業でも接客業でもそうだけれど、若くてきれいで愛嬌がある、または優しそうな人の方が話は聞いてもらえやすいんだろうな。

 

お金持ちだったり、権力を持っている人でも、まじめなタイプの人だと、ボランティアや寄付に力を入れたりしているんだけれど。

 

財力があると人が集まってくるものだから。

 

自分の娯楽のために全部使っちゃう人もいるから。

気に入られた人のために多くのお金と時間と資産が使われることになるから。

それに対しては、楽しませることによってお返しするっていう。

いい人に対しては力になりたいけれど、嫌な人の力にはなりたくないっていう。これは、どんな人でもそんな感情は持っているものだけれど…。

 

人の好き嫌いが先にあって、評価が後からついてくるっていう。技術や知識が優れていても、見えないところで努力していたことがあっても、人として好かれていないと評価されない、そんなこともあるから…。

(私は、子供のころからひいきされる方じゃなかったから、釈然としない気持ちになるんだけれど…。次女っていう立場的なものと、性格的なものがあって。)

 

人から評価されるためには、技術や知識だけじゃなくて、好かれることも必要だったっていう…。

 

自分が楽しいことの方に使う。自分が他の人のためになにかをすることよりも。(余裕がある人ほどそうなりがち。)それによって、それまで相当な嫌な思いをしていなかったら、それでも続けたかもしれないけれど、お金と労力をかけても当たり前だと認識されて感謝もたいしてされなかったし、過去に嫌な思いをしたから。かといって、最小限のことまでもやらなくなってしまったら、周囲の人が困ることでもあったんだけれど…。

 

社会的に見たり、倫理的に見たら、別のことに少しは時間とお金を使った方がいいんじゃないかっていうことよりも。

 

若い美形の異性が持ち上げて、楽しませてくれること(習い事の先生でも、お客さんの側でいると丁寧に接してくれたりするから、一緒になにかやるだけで楽しかったりするし。)の方に力を全部注ぎがちになる。それでも、嫌な思いをしたとしたら、お金はかけないんだろうな。

 

プライベートが充実していない人ほど、お金を払った時に優しく接してもられる環境、喜ばれる環境にはまりやすくなるとも思います。

だれでも求めるところはそこだから。

 

だから、人生、楽しんだ人勝ち、楽しませた人勝ちだと思う。

 

なにか深い意味や真理ががあるのではないかと思ってコツコツやっていたことに対して、二周も三周もしてから、ただ、その場所の権力者の気分や好き嫌いに振り回されていただけだと気がついた時にはため息が出た。だから、ほんとに人に寄る…。

(でも、それを指摘すると、違うっていうし。言ったことによって急に気が変わったりもするし。こういうことって、自分で判断するしかないことだったんだろうなあ…。)

 

気分屋の人が近くにいる場合には、社交辞令や慣例を大事にするとよいと思います…。