短い文章の方が架空の話は作りやすい

「長文を書く人は嘘つきの可能性が高く、短文を書く人は正直者の可能性が高い。」と最近言われているらしい。

 

そうでもない。

 

個人的には、長文で事実を書いていることもあると思うし、短文の方が架空の話を書くことがたやすいと思う。

 

見分け方にはいくつかある。 

 

1 話の中の辻褄が合う

長い年月にわたり長文で虚構の話が書かれていると、辻褄が合わない部分が見えてくることがある。

 

例えば、10年近く続いた長編シリーズ物の小説や長期連載された漫画を読んでいると、初期に出た情報との矛盾が出てくることがある。読者に指摘されて落ち込む作者もいるみたい。プロの小説家や漫画家でさえそんなことがあるから。実は、世界的に有名な長編古典でも研究者から指摘されていることもある。多少矛盾があったとしても魅力のある作品だから、読み込まれるわけなんだけれど。

 

長文のフィクションでも破綻が無い文章が書ける人は、ハリーポッターの作者並みの才能がある人だと思う。

 

リアル社会での人と会話の中でも長年付き合っていると、だんだん分かってくることがある。でも、分かっていても追い詰めないようにして肯定してあげたり、聞いてあげることが人間関係がうまくいく方法なのかな。ただ、人の悪口の場合は、自分が害を受けたわけでない相手の場合は、その時のノリや雰囲気で一緒になって言わない方がよくて、話をそらすか、口数が少なくなるか、理由をつけてその場を立ち去るかのいずれかがいいと思う。 

2 実際に存在するものや、実体験と合う

基礎知識として持っていることや、自分が実際に接したことがあることや、詳しいことだと間違っていることか、正確なことかは自分で判断しやすい。

3 接点の無い人物が異口同音に語っていた場合

自分自身はよく知らないことでも、同じような話を長年付き合っている信頼できる接点の無い複数の人々が話していた場合には、嘘は言っていないと推測できる。

1人の人物から聞いた時には本当の話だと思っていたら、ノリや冗談や話の流れや言い訳や悪口等で話していただけというケースもあるのかも。

ただし、本人同士は接点が無くても、メディアやネットや書籍等を通して、同じ情報から影響を受ける場合もある。

4 実際の語り手が損をするような語り方は、普通はされない

プロフィールを偽っていたとしても、実際のその人やその人が属するコミュニティには愛情のある書き方だったり、得になるような方向に話を持っていきやすく、逆に損害を受けそうな事柄に対しては否定的な言動が多い。

 

例外もある。立場が違っても、主要読者のためになるような書き方をしてくれる人もいるし、公平な書き方をする人もいる。逆に、それまで読んだものや接したものに影響された人の場合等は、結果的に読者のためにも、自分のためにもならないような読み物になっていることもある。

 

長期間活動していた有名な美女系ブロガーがどうやらネカマだったみたい^_^; ラジオ出演した時も、友人の男性が出ていた。普通にためになる話やいい話もあったけれど、言われてみると若い女性が話を鵜呑みにするとモテるタイプの遊び人系の男性が都合がよくなるような話も多かった。(なんていうか、結果的に女性が奔放になることが勧められていたというか…。基本的には頭もよくて、優しい人なんだろうな、とは思うんだけど。)

愛読していたブログだったんだけど、こんな時は自分に行動力が無くてよかったと思う。