Chopin Competition 2010 - Yulianna Avdeeva - Sonata no2 in b flat minor - 1st movement

 

ユリアンナ・アヴデーエワさん。
ユリアンナっていう名前がかわいい。御本人もノーブルなヨーロッパ美人。ロシア出身。

ユリアンナさんは、2005年にワルシャワでの第15回ショパン国際ピアノコンクールにて優勝したピアニストです。
(ちなみにこの時、辻井伸行さんが「ポーランド批評家賞」を受賞しています。)

某ブログで絶賛されていたのでユーチューブの動画を貼り付けてみた。
名演奏。2011年に東日本大震災後に来日してくれたり、チャリティーCDを出してくれたりもしていたらしいし、人柄もあるんだろうなあ。


日本人ピアニストの演奏は、
「右手と左手がそろっていなくてはならない。」
「ペダルの過剰使用。」
という点に問題があるそう。

某ブログでは日本のピアノ教育に対して懐疑的で、外国の音楽大学へ音楽留学に行くことが薦められていました。

(そういえば、ヨーロッパにピアノを学ぶために留学したっていう話も聞いたことがあるけれど、そういうことだったのか…。)

私も子供のころ少しピアノを習っていたことがあるので、そんな見解を持っていられる方もいることに少しショックでした。

 

 

ただ、某ブログではなんだか階級意識とかが垣間見えて。読んでいたらなんだかもやもやした気持ちになってきてしまった。私は、こういうタイプの人ばかりだったらクラシック好きにならなかっただろうな…。じゃあ、いいです。他の楽しみを探しますって。それで、クラシック音楽は、自分からは聞こうとしなくなっただろうな。(映画やゲームのサントラは聞いていたかも。)

どんなに造詣を深めても、認めようとしなくて。それで、努力して努力して身に着けても。たぶん、自分が負けそうになったら、その人は興味なくすんじゃないかなって、そんな気がする。勝ち負けの世界になってきている。日本には、江戸時代には西洋のクラシックは入ってきていなかったのにね。150年ぐらいでよく、ここまできたよ。
造詣の深い人で、勉強になるんだけれど。たぶん、この人は、一般的なものになってしまったら、俗っぽいものになってしまったと、ピアノもクラシックも好きではなくなるんじゃないかなって思った。(そういう感情って、上流階級だけじゃなくてほかの趣味でもあることなのかもしれないけれど…。)音楽として好きというよりも、上流階級だったり、ステータスのある人達の嗜みとして好きなんだろうなって。
私は、例えば、私が好きなチャイコフスキーの「くるみ割り人形」がユーモアのあるテレビCMで採用されて、そんな形でも名曲がたくさんの人の耳に触れて、認識されてよかったなって思う方だけれど。俗っぽいものになってしまったって嫌な気持ちになっているタイプの人もいるんだろうな。


逆に、第一線の超一流の演奏家や作曲家の場合は、一般的になものになっても、美を追求する姿勢が変わらない気がする。ショパンもそうだけれど、ああいうタイプの人たちって小さい頃に、大人が弾いたピアノの音色を耳にしてびっくりして、それがずっと続いている感じがするから。