別の人が書いたことみたいだ

ブログを書いた後、自分に対して、「この人だれ?」

って書いた直後に、ぼーっとしている時にパッと心に浮かんだことがある。

ここにいるのは自分なんだけれど、ここにいる自分が知らない人みたいに感じられるの。

読み返してみると、別の人が書いたことみたいだ。そんな時が時々ある。

 

書いている時は、そんな意識は少なくて、こういうことを書こうっていう気持ちが強いんだけれど。書きたいことが、降りてくる。

もともと、書くべきことは決まっていて、完成形があって、ただ、それをブログにうつしているだけっていうような。

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今までの自分のアイデンティティだったり、優位性に繋がることだったり、そんなことを重視する人だったら、書けないような。だから、知らない人が書いたみたいに感じるのかな。

 

そういうふうに書いてしまったら、私がこれまで、子供のころからずっと好きだったことや物の否定にも繋がることだし。今までのアイデンティティの崩壊。また、それが無くなったら、また子供のころみたいな頼りない意識になるし。でも、それが0になることによって、また新しいものになったり、新しい方向性が決まってきたりするのかもしれない。

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 えっと、例えば、友達同士で話していて、悪口言っていたらそれに同調しないで、話し相手や話し相手に関係が深い人に対して、それだったら○○さんもそうじゃないとか、すごく冷静に客観的に言い出して。それで、こっち側の人だったと思ったら向こう側の人だったのね。っていう、ショックを受けるみたいな。いや、ただ、客観的に言っているだけなんだけれどな。でも、味方じゃなくて敵みたいに取られちゃうんだなっていう。そんなふうに思っていたのに、自分自身のことに関しても、客観的過ぎて、知らない人みたいに思えるみたいな気持ちなのかな…。

実際に会話をする時には、相手の顔色も見ながら話すこともあるし、あまり相手がショック受けないような話し方をするし。事実でもオブラートに包んだ話し方だったり、相手が受け入れられるような話し方を心がけようとするし。自分や自分の関係者が不利になるような言い方もしないようにするし、周囲の人が傷つかないような話し方もしたいし。なるべく敵もつくらないようにしたいし。そこまで追い詰めないようにするけれど。最近は。ほんとうに、一緒になにかやりたくないっていう人も、私にもいるしね。(目的が、人を貶めることになったいるような。それしかないようなタイプも世の中にはいるから。そんな人も、周りから人がいなくなると寂しくなるみたいで。実は、そんな人の場合は、理屈とは別の力学が働いていて、そうなっていたのにね。だから、いくらその方向でやっても満足することはないと思う。でも率先していろいろなことを一緒になにかやりたいとは思わないけれど。離れられない立場の場合は、とりあえず、社交辞令と型どおりのことだけはやるような形になるよね…。)