私は、小さいころから家の中でも家の外でも存在感の薄い方だったけれど…。(それなのになぜか私が実家から離れようとすると、うちの親は深層心理では嫌だったみたいで、引きとめようとするようなことを言われたこともあった…。結局、その後数年間実家を離れたわけだけど。)
だれかにとってのかけがえのない存在になっていたら、その時は、もう、影の世界から、陽の世界へいくようになっているんだろうなって思う。
その人の、その存在のために、その人に合ったような、その人にふさわしいような生き方をするようになっていたんだろうなって思う…。
でもそれも、なかなか難しいもので。いろいろ考えると、もうそんな気分にもなれない。
結局、私にとってのそんな存在はあの時の愛犬だったんだな。
一時期は、短期間だったら、友人だったり、そんな存在の人もいたけれど。
結局、友人って、(めったにないけれど、10代のころとかに)こっちは一番好きって思っていても、そういう人って人気があるから、ほかにももっと大事な友人がいたりすることもよくあるし。
そこまでの関係でなくても、だれかから必要とされて、認められるような、いい関係でいられることはあるし。それほどその人にとっての存在感は大きくはないけれど、それでも、その人の中の存在感の中の一つではあって、影響が出る関係ではあるし。
(子供のころほどにはすぐには人を好きにならなくなってきているけれど…。そういうタイプの人って大勢の人から好かれるタイプの人でもあるし…。基本的に嫌なことを言わなくて、いっつも笑顔、または穏やかな顔をしていて、ルックスがよくて、ノリがよくて、共感してくれたり、肯定してくれる感じが強い人。いくらそんなタイプの人でも、必要とされていないんだなってわかると、そんなにこちらも影響を受けないし…。)
だれかの一番だってはっきりとわかるのって、恋愛や結婚なのかな、やっぱり。
友人だとわかりにくい…。
私も、なんとなく調子のいい時期もあって。そんな時期は、いろいろな人から話しかけられやすくなっていたの。でも、嫌われたくもないけれど、あまり話をしたくもないっていう…。そんなタイプだから。他愛の無い雑談でいいのかもしれないけれど…。周りの人がみんな話している中で私だけ孤独だったら嫌だけれど、周りがみんな話していないんなら、私も話さなくていいやっていうような。
でも、特に知り合いがいた場合には、少しの隙間の時間でも、ただ座っているだけだったりすると、あいさつや雑談がないと、人間関係は悪くなりやすいんだろうなあ、っていうことは今はわかる…。
子供のころ、母親や姉から、私は自意識過剰だって言われたことはあったけれど。でも、特に女の子の場合は警戒心が強いぐらいでちょうどいいと思う…。同じ人でも場所や時や条件によっては自意識過剰だった場合もあるし、実際にそうなっている場合もあるし。私だけに対してそうなのか、他の人にもそうなのかとかを見るとわかる場合もあるし。
自分に自信が無さ過ぎることが原因で、自分から離れたこともあるし。それで、傷つけてしまったなって、後からわかったこともあったし。
逆にこちらが過干渉になってしまって、困った顔をされてしまったこともあるし。私は、ついべったりになりがちなところがあるから。かといって、すっぱり離れたら嫌われているのかって気にされたこともあるし。適度な距離感っていうのがな…。
お互いの空白や依存度が同じぐらいだったら、いい関係でいられるんだろうな…。
そんなふうに近しい関係の間柄っていうのは、一番近い関係なのは、ある程度年をとった人の場合は、恋人だったり、自分の配偶者と子供になるんだろうな…。
私の場合は、ほんとは、早い時期に実家から遠く離れて、あまり会わないようになっていた方がよかったんだろうなとは今はわかってはいるんだけれど。
それで、若いうちに恋愛をしていたり、自分の家庭を持っていたら、一時期でも、そうなっていたのかもしれないなって。
経済的に完全に一生自立できない限りは、絶対にまた大きなイベントがあるたびに親にいろいろと詮索や干渉されることはわかっているし。単調な生活をしている限りでは、そんなに干渉されないし。親が入ってくると、また別のものになるってわかっているし…。
親が過干渉なタイプで無い人には、この辺のことはなかなか理解してもらえないし…。
いろいろ考えてみると。金銭的な問題とか、老後のこととか。
それだったら、このままでいいやって思う。
親は親で、私がずっと家にいることについてはあきれながらも、老後のこととかもあるから、少し安心感もあるみたいだし…。